公益財団法人東京三商会の歴史

《財団法人 東京三商会のこと》  都立三商26期古田勝一

古田画像

都立三商同窓会会報49号より転載

昭和39年1月に財団法人 東京三商会は発足しました。

三商は同窓会・PTAその他の外廊団体が自分達の教育的な熱意によって勝ち得た2,500坪の川岸運動場と創立35周年記念事業として1,500万円を投じて建設した新潟県六日町の山寮とを持っておりました。 これらの財産保全を考えると、 その時々の校長名義では健全ではないので、不動産の財産権の確立 ・・・永遠に三商教育の上にその偉力を発揮する為にも、 財団設立が望まれた訳であります。 基本財産は以上の川岸運動場と六日町山寮で、運用財産は同窓・PTAからの100万円で発足致しました。

財団法人東京三商会昭和38年7月三商新聞102号

上の記事は 昭和38年7月三商新聞102号より (画像をクリックすると大きくなります)

東京三商会画像

この川岸運動場 (現在の新校舎が建っている所) も、当時の三商の校庭が狭かったことから、 初代吉沢徹校長が地主である深川区に折衝し、 運動場拡張の目的で昭和13年12月13日に2,500坪を買収しました。 買収価格の92,933円8銭も、毎月のP TA会費を50銭の値上をして8年間も積立て、購入されました。やっとの想いで購入した土地は荒削りの地形で、 丸の内のビル工事現場からトラック600台分の土を運んでもらい、 土盛りをし、整地をする ことは大変な仕事であった様であります。在校生の勤労作業も続けられ、 夏季休暇中は上級生が学年別に数日間 体育館等に宿泊して、 炎天下の地均しや除草等に尊い汗を流したそうであります。こうした努力の積重ねで、 荒地にすぎなかった 川岸運動場も名実共にグラウンドらしくなり、 三商のグラウンドは従来の二倍以上の広さとなった訳であります。この川岸運動場も、買収してから37年目となる昭和50年3月11日に総額 4億2,480万3,501円で東京都に売却されました。

昭和40年6月同窓会報三商会

上記は昭和40年6月 三商同窓会会報5号に掲載された記事です。その他に26期有志の方から10万円の募金もありました。同窓生有志の貴重な募金がされました。

又、六日町山寮も3年間毎月200円ずつ積立 をし1,500万円を投じて昭和37年に購入したのでありますが、 この物件も時代の流れで利用者数の極度の減少・・・ 固定資産税の負担が重荷となり維持困難との理由で、残念ながら数年前に地元の六日町に寄付する形となりました。

こうした流れを経て、財団の基本財産は川岸運動場 六日町山寮の不動産から都に売却した代金による現金預金へと姿を変えたものとなりました。

財団の発足より20年間程は、 銀行の定期預金 も年利5分5厘でしたので、1億円で550万円も利息が付きましたし、複利で10年間計算すると元利で倍の2億円となった時代です。低金利となりまして、かなりの年月が経過しま したが、 財団事業の育英奨学金制度は金利の高かった発足時のまま施行されております。 総額で490万円程の奨学資金は全額返還義務なしの条件です。 これに一般管理費を加えると年間約910万円の支出となっています。 『入るを計って・・・出を制す』の反対現象が続いていますので、 財団の財産が先細りになって行きます。 何とか食い止めなければなりません。 財団が事を進めるには、全て東京都教育委員会の認可が必要との事ですので、 これまでは、ともすると何となく都の管理が厳しいのではないかと云う理由で基本財産の見直しを避けて居りました。

桜井定夫教諭も創立50周年の記念誌で 『気を つけないと宝の持ちぐされになる心配もある』 云っておられます。 社団法人・財団法人に対して国の取扱が見直されようとしている今こそ、 同窓会としても資金の運用方法や、 奨学金の支給者からの 一部返還等の制度について戦略を以って強力に対処して行く一 歩を 踏出さねばならぬ時期に来ていると思われます。 設立の理念、 歴史と伝統を守成するには、かなりの改革が時に必要となります。そして、さらなる発展を力強く遂げることを期したいと存じます。

《公益財団法人 東京三商会の発足》  

平成23年4月に「公益法人制度」の改正により、「公益財団法人東京三商会」としてスタートしました。

三商同窓会会報50号からの転載です。

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